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インドネシアのビジネスを支える 「財閥」

インドネシアの経済を支えているのは、「財閥」と呼ばれる企業集団です。 この国の経済発展には、財閥は欠くことのできない存在です。

インドネシアには 30 もの財閥が存在

インドネシアには、財閥またはコングロマリットという形態を持つ多角経営の企業グループがおよそ30あります。

これらの企業は、インドネシアのさまざまな産業分野に入り込んでいます。 資源系や農林業をはじめ、自動車、不動産、小売り、物流などその範囲は多岐にわたっています。金融サービスやIT関 連ビジネスにも財閥の息がかかっています。

多くの財閥がかつてのスハルト政権が目指した「計画経済」の進展とともに、政府や軍に強力な影響を及ぼしています。つまり、財閥の動向を知らずしてインドネシアでのビジネスは成り立たないというわけです。

財閥の成り立ちと華人との関係

インドネシアの経済は資本の出どころから大きく分けて、「プリブミ」と呼ばれる民族資本(原住民資本)と、「ノン・ プリブミ」と呼ばれる非原住民資本のふたつから成り立っています。

「ノン・プリプミ」はイコール『華人』と一般的に考えられています。 19世紀後半になると、中国大陸から東南アジア各地へ移 民する人が増えて来ました。移民先にたどり着いたこれら華 人は当初、小さな商売を営むだけでしたが、規模の大きなビジネスに着手する有能な華人も徐々に出て来ました。それがインドネシアをはじめとするアジア各国で有力な財閥として育っていったわけです。

インドネシアにいま住んでいる華人は、国全体で350万人 ほど、人口比にして4%ほどに過ぎません。しかし、こと経済に対する影響力は絶大です。いわゆる財閥上位3社の創始者はいずれも中国南部から渡って来た人々またはその子孫ですし、前述の財閥もしくはコングロマリット30社あまりのうち、華人資本は20社以上を占めます。

財閥企業とのビジネス

あるビジネスについて、特定の企業が圧倒的なシェアを持っている、ということがインドネシアでは往々にあり、その結果、新規参入という形でインドネシアに進出したくとも、パートナーとなり得る相手についてほとんど選択肢がない、ということが起こりえます。 財閥企業の多くは華人資本ですが、ビジネスに対する考え方が日本企業と異なる傾向があります。

財閥企業とのビジネス例は以下のとおり

  1. 短期間で利益を得ようとするビジネスに対するフットワークが軽いという「長所」がある一方、パートナーとの関係を長期的視野で見ない経営者もいる。そのため、「必要なノウハウや技術を 日本側から得たところで契約打ち切り」といったことも過去に起こっている。
  2. コンプライアンス上の問題「二重帳簿の作成」を促したり、投機的な不動産投資を行ったりと、経営者として問題のある行為 に挑むケースもままある。

なぜ華人資本の支配が起きたか

ビジネスセンスに長けた華人のビジネスマンは1980年代以降、当時のスハルト政権と密接な関係を作り、公共事業のみならず民間のあらゆる事業に関与するようになったことで急速な発展を遂げました。

そもそも1980年代のはじめまで、インドネシアにはあらゆる産業が手付かずで、ビジネスの担い手がほぼいない状況でした。

そんな事情から華人資本が主要産業分野において次々と商権を取りました。例えば、自動車分野でのアストラインターナショナル、製紙分野でのシナルマスのように、市場で圧倒的なシェアを占めているようなケースはその典型的な例と言えましょう。

「アジア通貨危機」による財閥の事業再編

1997年7月、タイを震源に発生した「アジア通貨危機」は インドネシアへも大きな影響を及ぼしました。事実上、この国の経済は破たんし、その責任を負う形でスハルト元大統領 は退陣、政権も崩壊しました。

多くの金融機関も通貨危機のあおりで大量の不良債権を抱えることになりました。金融サービスを手がけていた財閥も大きな痛手を負いました。中でも、大手財閥のサリムグ ループはかつてバンク・セントラル・アジア(BCA)を保有していましたが、経営の大幅な悪化から、政府の預金保険機構が救済に乗り出し、どうにか金融機関としての体裁を維持しました。

その後、ハルトノファミリーが経営に参画。サリム は2%弱の株式を引き続き保持しているに過ぎません。 一方、財閥の中には経営環境の悪化により、アジアの財閥 (ことにシンガポールや香港)の支援で立て直しを図ったところもあります。





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