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【熱狂諸島】sisi 生島 尚美 氏|バリ島でオリジナルバッグ”sisi”を製作販売

大きな変化にも、寄り添うように

順調であればあるほど、同業者から反感を買いやすくなる。ましてや、ウブドという狭い街である。日ごとに、ひがみや嫌がらせが増えた。真剣にやってきたのになぜ?同時に、今の状態で納得していた自分が、小さく惨めに思えた。私はまだまだやれる。圧倒的な力を示し、レベルの違う仕事ができればこんな思いをしなくて済むのか。そのためにはウブドにいてはいけない。そう考えた私は、2004年に拠点をウブドから奈良に移し、新たな可能性を見出すことにした。

その頃、私生活でも大きな変化があった。竹の家具を勉強しにウブドに来ていた男性と付き合い、結婚することになったのだ。彼を実家に連れて帰った時、両親はとても喜んだ。相手が日本人なら、日本に居てくれる。笑顔いっぱいの母を見て、胸が痛くなった。なぜなら、この時すでに、いつかはウブドに帰ると決めていたからだ。余談だが、結婚した彼も道に迷って私の店にたどり着いた一人。辺鄙な場所に店を構えて正解だったと、つくづく思う。

2006年に長女を、2008年に長男を出産。子供がいる生活は喜びであったが、不安も大きかった。ウブドの店舗は信頼できる日本人女性に頼んではいたが、指示を出すのも、決定するのも私。ましてや、奈良店はオープンしたばかり。女性が子育てしながら仕事をする大変さを痛感した。この経験から、奈良店ではママさん向けのイベントや、助産院を知ってもらうための勉強会を開催した。そして、『sisi』としては、赤ちゃんグッズを販売開始。当時、母から言われた言葉が忘れられない。「あんたは転んでもタダでは起きない」。転んではいないが、まさにその通りかもしれない。

子どもが生まれた事によって出来たベビーグッズ(筆者と子供)

2009年に家族ごとウブドに戻るのだが、その前に奈良でマンションを購入した。1年のうち3分の1は奈良で過ごしたいと考えていたからだ。しかし、2011年3月11日に東日本大震災が起きた。その直後、ウブドには日本から脱出してきた人が増え、日本の様子を伝えてくれた。元来、ウブドは健康、スピリチュアルを求めてくる土地柄。「日本には子どもを連れて帰らないほうがいい」との情報があふれ、家族で奈良に帰る機会を失ってしまった。完全に予定が狂ったのだ。マンションはそのままにしたが、それに伴い遠隔操作の大変さから2013年10月、奈良店を閉鎖することにした。

その頃、『sisi』の売り上げは全盛期から3分の1にまで落ち込んでいた。しかし幸運にも、新しいビジネスチャンスを頂いた。旧知のスペイン人カップルからピュアベリタリアンのレストランの経営を勧められたのだ。私は食堂の娘。いつか飲食店をやりたいと考えていた。しかし、やるなら本気でやりたい。だからこそ、今まで避けきたのだ。『sisi』が落ち着いたことと、子供から少し目を離せるようになったことで、時間が生まれ、満を持して着手することを決めた。

妊婦中にバリ島に出張に来ている時の様子

その頃、ウブドはヨガの聖地として注目を浴び始め、ヘルシーなメニューを出すレストランが増えつつあった。しかし、全メニューがベジタリアン向けという店はない。しかも、値段を抑え、毎日通いたくなるベジタリアンカフェを作ればいける。そう踏んだ私は、2010年に『warug sopa』をスグリワ通りにオープン。まさに予想が的中し、上々な売り上げに至った。

本格的に動き出すために、会社を設立する必要があった。しかし、ウブドで会社を設立することは容易ではない。経験と知恵とお金を上手に駆使する必要があった。これは日本では考えられないことだろう。結局、申請が通るまでに1年もの時間を有した。2011年のことだ。

同時期に、『sisi』の本店をニュークニン通りに移した。お店の裏に直営のカフェや図書室スペースを併設。図書室スペースには子供から大人まで楽しめる絵本や小説をそろえた。漫画喫茶から広がった『sisi』である。このスペースは大切にしたいと思うのだ。

2013年、本店の横にある複合施設『garden』を経営することになった。大家業である。これがなかなか難しい。自分がテナントとして入るときは大家さんに「入れて良かった」と思われたいと大張り切りするが、逆に借りてくれた店舗さんには多くのお客さんが入って欲しいと考える。人のビジネスを見守る、というのが今までと違い、なかなか要領を得ないのだ。現在はオフィスとしての利用が増えているが、やはり店舗が入ってくれた方が面白いと感じてしまうのは私の性だろう。この複合施設の真ん中には、ベジタリアンカフェ『warug sopa』の2号店があることを加えて記しておく。