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津々浦々で一世を風靡した“鹿” モータリゼーションに歴史刻む

1990年代のジャカルタのみならずインドネシア中の道路という道路には“鹿”が溢れ、右をみても左をみても“鹿”が走り回っていた。そんな光景を記憶にしている人も多いだろう。“鹿”の正体はアストラ・トヨタ社製の車「キジャン」である。ジャカルタのスディルマン通りには当時大きなアストラ・トヨタのショールームがあり、頑丈な車体ながら比較的安価な価格帯が人気を呼び、新興中間層以下の国民がこぞって「マイカー」の夢を実現させることができた。それこそ「インドネシアの国民車」的売れ行きだった。

タイのバンコクと並んで東南アジアでも屈指の渋滞都市として知られるジャカルタは、大気汚染で青空が見える日などほぼないほどだが、最近はEV(電気自動車)を見かける機会が増えてきた。環境問題への意識が多少は高まっているのと、新しいもの好き、さらに政府が最大8000万ルピアの補助金を設定して普及に懸命なことなどが大きな理由だろう。これからEV業界は、充電スタンドの数も増え、巨大市場になっていくと考えられる。

さて、キジャンとは、インドネシア語で東南アジアに生息するシカ科の一種「ホエジカ」を意味する。その名を冠した「キジャン」が発売されたのは、1977年だった。悪路に耐えうる足回りと過積載を考慮した強度を併せ持ったキジャンは、当初商用としての用途を主としていた。

しかし、様々な改造が施され、結果として売り上げが伸び、商用車として世に出したキジャンが、一般乗用車のベース車両として徐々に市民権を得ていったのだった。その後、86年にフルモデルチェンジされ、名前も「スーパーキジャン」となった。バックドアに燦然と輝くシカのエンブレムを纏った車体は、街中で堂々たる存在感を放っていた。そして、2004年から「キジャン・イノーバ」に置き換えられた。「イノーバ」はいまも駐在員の多くが乗る人気車種であるが、一様に「イノーバ」と呼び、「キジャン」と呼ぶ者はほとんどいない。それでも、初代から外観も内装も機能も全てが変わった現在の最新モデル「キジャン・イノーバ・ゼニックス」まで至っても「キジャン」はその名を残している。

そこには、初代キジャンを作り上げたアストラ・トヨタのものづくりに対する気概を感じるとともに、それほどまでに「キジャン」がインドネシア全土で国民にいまだに愛されてる車である証がみてとれる。

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。