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帰国待つ草蒸し水漬く日本兵の屍

8月はインドネシアでは独立記念日、そして日本では広島、長崎への原爆投下の日、太平洋戦争終戦の日と「歴史的節目」が凝縮された月であり、節目にちなむ行事、報道が毎年「年中行事」のように両国で繰り返される。

パプア州ビアク島は激戦地の一つで、未だに多くの日本兵の遺骨が残され、ジャングルの中、あるいは海岸などにそれこそ「草蒸す、水漬く屍」として「帰国」を待ち続けている。

何度かビアク島や州都ジャヤプラのセンタニ湖周辺で日本のNGOや厚生労働省による遺骨収集事業を現場で取材する機会があった。

戦後既に76年、屍は既に骨となり、身元を確認する術もなく、厚労省も手掛かりがない限りDNA調査もせず、現場で発見回収した遺骨を厚労省の鑑定人がインドネシアの専門家と共同で「米兵ではなく日本兵の遺骨の可能性が高い」と判断した遺骨だけが、現地で荼毘に付され、白木の箱で帰国。千代田区千鳥ヶ淵にある「戦没者墓苑」に収められる。

ビアク島では日本兵約1万1000人が戦死、病死、餓死したとされ、依然として6500人が発見、帰国を待っているという。

ビアク島西部から小型船舶で数時間、無人島のアブラボンディ島に上陸し、海岸の砂浜に無造作に散らばる数十体もの遺骨を目にした時は言葉を失った。周辺には水筒なども散乱しており日本兵とみられる遺骨だった。頤(おとがい)もなく頭蓋骨の二つの眼窩が「日本に帰りたい」と切実に訴えているのだ。

米軍はハワイにある国防総省の調査機関で現在も可能な限り過去の戦争で死亡した兵士の遺骨を収集する事業を継続している。対象は第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など全ての戦争という。徹底的な調査、鑑定で遺族の手に返すことを国家事業として続けているのだ。

翻って日本は情報や発見があれば現地に赴くという姿勢で、ビアク島の場合これまでに身元が判明した遺骨はゼロという。死者が帰りたかったであろう家族のところには帰ることができないまま千鳥ヶ淵に眠っている。

こうした遺骨返還事業も折からのコロナ禍で中断を余儀なくされ、再開の目途はたっていないという。戦後長く残された遺骨をインドネシアは「文化財扱い」して国外持ち出しに制限があり、また日本人と鑑定された遺骨にインドネシア人が混在している可能性もあるという。こうした問題は存在するが、一日も早く、一人でも多くの日本兵の帰国を促進することが日本政府、日本人の責務だろう。

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。ジャカルタ在住。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。