多種多様なインドネシア文学の中で詩は特殊な地位を占めると言っていいだろう。1998年に民主化のうねりで崩壊したスハルト長期独裁政権下では抑圧された国民の思いを代弁する一つの手段が「詩」だった。
インドネシアを代表する著名な詩人、レンドラ氏は当局から警告、投獄を受ける「抵抗の詩人」だった。
バンドンの大学構内で開かれたレンドラ氏の講演会では官憲の見守る中、堂々と政権批判の詩を詠みあげた。「トイレで大統領のことを考える。ポチャ」。聴衆の学生からは嵐のような拍手と喝さいが起こる。そうであるインドネシアでは「詩」とは人々の前で詠むことが前提となるのだった。
抑揚をつけて声調やアドリブ、目や手の動きと全身全霊で詠みあげられる詩には「力とエネルギー」があった。
レンドラ氏亡き後を継いだ一番弟子のヨセ・リザル・マヌアル氏はジャカルタ市内「タマン・イスマエル・マルズキ(TIM)」にある古書店を拠点にして活動を続けている。
女性詩人エウィズ・バハールさんもコロナ禍中でもオンラインで「詩の朗読会」を積極的に企画するなど、独自の世界を詩で表現し、人々の心にメッセージを送り続けている。
コロナ禍以前は何度もバハールさんの「朗読会」「詩集出版記念会」に招待されて、同僚の詩人、作家、劇作家、俳優などの文化人らと歓談する機会があった。
インドネシアの「詩」が朗読をその主な発表形態にしていることに関して、かつて知り合いの新聞記者が「表現の自由、政権批判などが厳しく統制されていたスハルト時代の名残ではないか。印刷物でない朗読は記録にも、証拠にも残らないからだ」と解説してくれたことがあるが、真相は不明だ。
詩に限らずインドネシア文化は重層的で奥が深い。多民族、多言語、多文化が背景にあることもその一因だが、集会や講演会、デモなどの機会にも有志が壇上などに上がって「即興詩人」となって朗々と熱い思いを人々の前で表現することも多い。
もちろん、今では詩集を出版して堂々と風刺や政権批判を自由に繰り広げることも可能になっている。ただ、「SARA」と呼ばれる「民族・宗教・人種・階層」に触れることは「多様性の中の統一という社会秩序を乱す恐れがある」としてインドネシア社会ではいまだにタブー視されている。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。ジャカルタ在住。