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【熱狂諸島】JCB 門脇裕一郎氏|自分の目で見たこと以外は信じるな。現場に足を運ぶことが大切

最悪の状態から始まった

「何か悪いことをしてしまったのだろうか」

ジャカルタへの赴任が決まり、最初に出てきた言葉はこれだった。通常、海外駐在は、国際本部の社員から選ばれるのだが、当時の私の所属部署はテクノロジー部門。一度駐在員を引き揚げたジャカルタにまた送る、という話は聞いていたが、国際本部で候補者が複数名いたので、想定外の突然の指名がショックだった。13年前のアジア通貨危機直後に一度だけ出張したときのジャカルタの悪いイメージが蘇ってきた。「あそこに駐在するのか・・・」

すぐに電話で家族に伝えると「嘘でしょ」と驚いている。そう、その日はちょうど、4月1日、エイプリルフール。普通、海外人事は内示の2ヶ月前から準備期間がある。それなのに、私には内示もなしに、いきなりインドネシア赴任が命じられたのだ。

それから慌しく準備をして、2011年6月にインドネシア着任。

私が赴任した当時、インドネシアのJCBマーケットは危機的状況であった。ゼロから、いや、マイナスからの開始だった。JCBはBCA(Bank Central Asia)、BII(Bank Internasional Indonesia)の現地在住者向けカード2万枚を残して、2008年にカード発行事業から撤退を決定。駐在員を引き揚げ、必要最低限の作業をするためインドネシア人スタッフ2人を置いているだけの状況だった。2009年にはカード残高はゼロとなり、その後はシンガポールの担当者が、時折インドネシアのマーケットもリモートでチェックしていた程度であった。

このため、提携先、加盟店との関係は崩壊していた。カード読み取り用の端末を新しくした途端、JCB設定が漏れてJCBカードが利用できない、使えるはずなのに店員は認識なく利用を断る、ステッカーも満足に貼っていない、などトラブル続きの中で、駐在員は私ひとり。本社は「うまくいったら駐在員を追加で送る」と言ってはいるが、当面は自分だけだ。

なぜ、私がこんな状態の場所に送り込まれたのか。それは、中央銀行から、「現地法人化せよ」という規制が入り、事業継続のために駐在員を置く必要があったからだ。法人登記だけは終わっていたが、JCB International Indonesiaは着任時点では、何の実態もなかった。

これは大変なことになった、と思った。普通にやっても失敗する。まるで罰ゲームみたいだ。本社に何かを聞いても、役に立つ情報はない。だから、自分の信じたことをやろうと思った。とことんやって、ダメなら仕方ない。

赴任して、まず取り組んだことは、社内人事。といっても、駐在員事務所時代のインドネシア人のスタッフが2名いるだけだ。まずは、営業担当の女性。JCB勤続13年のベテランだが、やる気が全く見られなかったので早々に退職してもらい、もうひとりの事務職の50代女性と、2人で仕事をスタートさせた。

営業活動ができる人間は私しかいない。加盟店を片っ端から廻り、どれだけ端末が使えるのか、JCBのステッカーが貼られているか、そもそも認知されているのかを調べた。

仕事を終えて、夜7時や8時になると客として飲食店にもぐりこむ。最初は、日本食の店からだ。ビールやつまみを1,000円分以上注文して、JCBカードを出し、店員の反応を観察した。

いきなり「使えない」と言われたり、店の奥まで持っていて「ダメと言われた」と伝えてきたり。毎日2軒ずつ、2ヶ月で約80軒の店を訪ねて、一軒一軒の様子を記録していった。ショッピングモールに入っているような、“なんちゃって日本食屋”のような店にも行った。JCBカードが使える店は、調査対象の和食店の30パーセント前後。和食のお店以外だと、10から15パーセントにまで落ち込んだ。想像以上に酷い状況だと実感した。

JCBは、BCAと1983年に業務提携して事業を開始した。両社の関係は、30年以上になる。日本の店舗では、1台で各種クレジットカードの読み取りができる端末を備えている。しかし、インドネシアでは銀行ごとに端末が異なる。これは、端末の価格が安く、銀行側も加盟店に自社端末を置くことで客の囲い込みができると考えているからだ。

だからとにかく、端末を使えるようにしないと、話にならない。BCAの加盟店部門の部長さんに会って、助けを求めた。これまでの契約条件を大幅に見直した。

2011年10月1日には、新契約書調印を実施。BCA側も端末台数を拡げようとしていた時期だ。BCAの端末が新たに設置された店では、JCBのカードがすべて使えるようになった。とはいっても、一気に取扱店が拡充するはずもなく、ジワジワと取扱店が増加していくような感じだった。2012年からは、毎年20パーセントずつ着実に加盟店が増えていった。

並行して、システム故障により全滅していたBIIの端末を生き返らせることにも成功した。交渉から復旧までには半年かかった。BIIには足繫く通った。