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【熱狂諸島】JCB 門脇裕一郎氏|自分の目で見たこと以外は信じるな。現場に足を運ぶことが大切

※2017年に週刊Lifenesiaに掲載された記事です。

インドネシアで事業に熱狂する人たちの半生を紹介するコーナー

プロフィール/2016年当時
門脇 裕一郎 氏
JCBインターナショナル
国際営業一本部 副部長 兼 営業Ⅲ部長
ロンドン駐在、スペイン駐在を経て、2011年から2016年までインドネシアに駐在。2017年からロシア、CIS諸国、南アジア(インド・スリランカ・バングラデシュ)を主担当に、東南アジアも担当。

世界を見てみたい

日本発唯一の国際クレジットカードブランド、JCB。私は、同社の子会社・ JCB International Indonesiaで取締役社長を務めていた。

日本では、誰もが知っているJCBカードだが、私が2011年にインドネシア入りした当時、ほとんど知名度はなく、一部の日本から来る旅行者やビジネスマンが限られた場所で使う程度であった。しかし、その後の4年間で東南アジア地域における売上ナンバー1にまで押し上げることができた。こう書くと、まるで自慢話のようだが、実際には泥臭い活動を、地道に行ってきただけだ。この連載では、私の半生を振り返りながら、なぜ、このような成果を出すことができたのかを記したいと思う。

1971年、私は京都で生まれた。中学生の頃から英語が好きで、同志社国際高校へ進学。この学校には、それまで会ったこともなかった帰国子女の生徒がたくさんいて、本当にカルチャーショックを受けた。「世界を見てみたい。海外に行ってみなきゃ。」と強く感じていたが、短絡的に得意な英語を活かせる英語の教師になろうと考え、教員免許の取得できる同志社大学の英文学科へ進学した。

初めての海外旅行は、大学2年生の夏休み。帰国子女の友達とアメリカを5週間かけて一周した。そのうちの一週間は、シアトルのホストファミリーの家でホームステイ。それまで、自分の英語力には自信があった。特に、文法が得意だったし、英文を読むことも苦にならなかった。しかし、私の英語は通じなかった。スラングがまったく理解できない。それまで私が学んできた英語は、いわゆる“教科書英語”。実践で使えるものではないことを痛感した。

大学4年生になった私は、付属高校の英語科教員としての内々定を貰っていた。あとは、教育実習に参加して教職免許を取得するだけだ。

しかし、ここで事件が起こる。

絶対に落としてはならない、教員免許取得に必須の課目を一つ落としてしまったのだ。1年留年して、単位を取得するか、教師を断念するか。内々定を出してくれた高校は、1年待つとまで言ってくれた。しかし、それがきっかけで「自分は本当に教師になりたかったのか?」と自問する機会を得た。

世界を飛び回ってみたいという思いが蘇ってきた。将来、英語教師になるにしても、サラリーマンでの国際経験は活かせるだろう。そこで教師の道は一旦封印し、海外で働く機会が得られそうな一般企業への就職に向けて、活動を開始した。しかし、すでに4年生になってしまっている。完全に出遅れてしまった。

ある日、大学の就職掲示板を見に行くと、航空会社の「自社養成パイロット若干名募集」という張り紙が目に付いた。私は、父が北海道出身ということもあり、よく飛行機に乗っていた。今度は幼い頃にパイロットになりたかった夢が蘇ってきた。

JAL(日本航空)とANA(全日本空輸)、JAS(日本エアシステム)を受けた。

3社とも一般教養、英語、知能テスト、フライトシミュレーター、健康診断、面接など6~7次試験まで設けられていた。私は、3社すべて最終段階まで進んだ。パイロットとしての適性があるんだ、どこかに受かるだろうと思った。

しかし、すべて落ちてしまった。適性はなかったのだ。

私は、教師にもパイロットにもなれない。絶望した。しかし、落ち込んでいる暇はない。就職活動を続けるしかなかった。海外赴任ができそうな会社をまわることにした。

ある日、テニスサークルの仲間と情報交換をすると「(就職活動で)JCBに行ってきた」という。私は、JCBが何か知らなかった。友人から、カード会社だと説明されたが、よく分からない。

友人は、「今、盛んに海外展開している会社だよ。おまえに合ってるんじゃないか?」とすすめてくれる。興味がわいたが、就職セミナーは終わってしまっている。

そこで、私はダメもとでJCBに電話をし、OB紹介をお願いしてみた。すると、「エントリーの期間は終わっていますが、OBに会っていただきます」との返事。お会いした4名の同志社大学の卒業生は皆、個性豊かで人間味があり、「この会社だ」と確信した。今、役員になっている当時の課長の方に、「君ならすぐ海外へ行けるよ」と言われその気になった。

1993年にJCBへ入社。まずは、年中無休のコールセンターで休日出社、夜勤もしながら勤務した後、1997年に念願の国際本部へ移動した。私が配属された国際業務部は、営業が新規提携をまとめてきた案件を、実際に業務開始させるためのセットアップを行う裏方的な部署だ。こちらに配属になったことにより、システムやオペレーションに関する知識が身に付いた。この部署で4年間、インドネシア、フィリピン、中国を担当した。