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【熱狂諸島】関根章裕氏|「KINTAN」「しゃぶ里」をインドネシア全国で展開

「絶対に成功しない」と言われた1号店

インドネシア1号店出店が決まっていたパシフィックプレイスは、連日閑散としていた。日本から仲間が視察に来ても「絶対に成功しない」と言われる始末。しかし、そう言われると逆に燃える自分にとっては好条件だったのかもしれない。

物件は決まっていたが業態は未定だったため、現地の方にとって何が「美味しい」のかを探るべく、ローカルフードを食べ尽くした。着任からオープンまでの数カ月間、最低でも1日3食は屋台などでローカル食を食べ、通算で1,000食以上は食した。インドネシアは広く、地方によっても好みは変わる。同じ「辛い」でも、ジャワの人とスマトラの人と各地方ごとにその辛さの種類が違うというところまで学んだ。

同時に日本食についてもマーケティングを開始。その当時、ジャカルタのレストラン市場は「美味しいけれど高い」と「安いけれど味もそこそこ」が主流で、中間マーケットがすっぽり空いていると気が付いた。「手の届く価格で本当に美味しいものを」との発想と、他社との差別化ポイントを徹底的に社内でディスカッションし、和牛・新鮮野菜食べ放題、スープも選べ1人1ポッド制の「しゃぶ里」と、日本クオリティの焼肉をリーズナブルに楽しめる本格焼肉の「KINTAN」の現在の形が生まれた。

ひとり1ポットのスタイルでしゃぶしゃぶを提供する

それからは今も頼りにしている、総料理長がメニュー開発に注力した。日本の味をそのまま押し付けるのではなく、インドネシア人・日本人が食べてみんなが「美味しい」と感じることができる味を探しあてること心掛けた。例えば、現在も好評の「からあげ」と「トウモロコシのかき揚げ」。開業時「こんな美味しいもの食べたことない!」と言われたが、実は「アヤムゴレン」と「ジャグンゴレン」と同じような料理がローカルにあり受け入れやすい土壌があることに気が付いた。ローカル食を食べ続けた中で、インドネシア料理と日本食との共通点を探り、調味料や調理法で日本の味に近づけながら、いわばローカル食を「昇華」させていった結果生まれた味だ。それをプレゼンテーションの仕方を変えることで、インドネシア人の目には新鮮に映っているようだった。日本食をローカライズするのではなく、現地の食を大切にし、その味を日本風にアレンジするアプローチを重ねた。

また、ターゲットのセグメントにも力を入れた。想定客層は大きくインドネシア人、インドネシア華僑、日本人の3種。どの人種の方が来ても美味しいと感じて頂けるよう、各ターゲットごとに、肉、前菜、サラダ、揚げ物、ご飯ものと細かくセグメントし、どの人種のお客様が来ても美味しく食べてもらえるメニュー構成にした。

KINTANオープン時のスタッフたち。左から3人目が筆者

そのかいあってか、両店ともオープン当初から連日行列が絶えず、KINTANは1日に400人以上の来店で5回転という日もあった。また、しゃぶ里は102席で月商3,000万円以上をたたき出し、初期投資も日本の約1/3の期間で回収できた。

その要因は、良いスタッフに巡り会えたことが大きいと感じている。オープニングのコアスタッフには、インドネシア人でも日系企業での勤務や訪日経験者を優先的に採用した。日本人との仕事の仕方が分かっているので、トレーニングの時間を大幅に削減できたと思う。また私自身も数カ月は休みなしで働き続けた。現地スタッフに、いくら日本の質の高いサービスについて説明したところで、それを受けた経験がなければ分からないのは当然だと考えた。我々が求めるサービスレベルのあるべき姿と想いを背中で見せるよう努めた。そんな私達についてきてくれたインドネシア人スタッフには今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。

そんな一般的には上手くいったと思われている1号店だが、実は大きな痛手も被っている。工期の遅れだ。予定より3カ月近く開業が遅れ、人件費や家賃などのコストがかかる上に、売り上げはないという二重苦を味わった。

なかなか思い通りにいかないインドネシアでの内装施工

日本とは違う、工事責任範囲、設備不足、資材・備品の輸入問題なども経験した。その反省を生かし、2店舗目以降は事前に業者と双方が納得するまでスケジュールについて話し合い、工期を確実にフィックス。工期が伸びた場合は、業者が我々にペナルティを払うという契約書に変えた。また資材をできるだけローカル製品に変更したり、工事の支払い回数をより細かく分け、約束の工程まで終了した段階で都度支払いをしていきリスクを減らしていく仕組みを作るなど改善をしていった。

加えて、工事管理は人任せにせず、自分達で行うことが大切だと学んだ。配線・配管などがデタラメでも最終的にそれらしく見えるように工事されることもある。今では笑い話だが、キッチンができたが出入り口の扉がなく、中に入れないということもあった。工事が始まったら可能な限り現場に足を運び、行けない日はLINEで状況を写真報告してもらうなど、コミュニケーションにも工夫をした。

順風満帆な初出店だったが、2号店進出までには1年の歳月を要した。その理由については、次回に譲りたい。