8月17日はインドネシアの独立記念日だった。大統領宮殿ではジョコ・ウィドド大統領も出席して盛大に記念式典が挙行され、津々浦々では地域のコミュニティーにより道路に白線で徒競走用のトラックが描かれ子供たちによる徒競走やパン食い競争、クルプック食い競争、油で滑りやすくなった棒をよじ登っててっぺんにある景品のお菓子を取り合う競技など「臨時運動会」が開かれて、大いに盛り上がった。
独立記念日に関わる現代史を学ぶことができる博物館などがジャカルタ市内には残っており、そこで当時の様子を知り、学ぶことができる。
中心部旧ホテル・インドネシア前の噴水から近いイマム・ボンジョルノ通り1番には独立宣言を起草した「独立宣言文起草博物館」がある。ここはかつて日本海軍武官府の前田精少将の公邸で、日本が敗戦した直後の1945年8月16日にスカルノ、ハッタ両氏という初代の正副大統領やスバルジョ初代外務相などが集まり鳩首会談を繰り返しながら独立宣言文を起草した歴史的建物だ。
博物館1階にはスカルノ氏らがテーブルの隅で議論する様子が等身大の人形で展示され、2階には前田少将の写真などが展示されている。邸内では折から9月10日まで「赤道にある桜の花展」が開催されている。是非この機会に訪れてみてはどうだろうか。
17日午前2時過ぎに出来上がった独立宣言文は東ペガンサアン通り56番地にあったスカルノ邸に持ち込まれ、スカルノ氏が独立宣言を読み上げた。この場所は「独立宣言公園」として整備され、スカルノ・ハッタ両氏の大きな銅像がある。
インドネシアはこの後、再度植民地経営に乗り出そうとしたオランダとの間で1949年まで独立戦争を戦うことになる。
太平洋戦争従軍の元日本兵の約1000人が帰国を拒んでインドネシア軍と共にオランダと戦った。いまでも「インドネシア独立は日本のおかげ」とする史観があるがそれは歴史とインドネシア人への不理解でしかない。
元日本兵でインドネシアに残留し、独立戦争を戦った乙戸昇氏の次の言葉を我々日本人は肝に命じておきたい。
「私たちがよく戦ったということとインドネシアが独立したことを短絡させてはだめだ。独立を戦い取ったのはやはりインドネシア人自身なのです」。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。ジャカルタ在住。