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何度も移住を余儀なくされたバリクパパンの先住民バリク族の物語

(c) travel.detik.com

新首都ヌサンタラ(IKN)には多くの関心が集まっているが、同地の先住民族バリク族の物語を知る人は数少ない。バリク族は芸術、彫刻、織物、ダンス、伝統料理を慈しみ、紛争を好まない内向的な部族で、かつては林産物、狩猟、漁業を生活の糧に、現在はバリクパパン市の一部となっているTanjung Gonggotに定住していた。交易の中継地としてバリクパパンが発展するに伴いバリク族の役割も強化されていったが、19 世紀後半、植民地支配下で石油探査が始まりバリクパパンが急速な発展を遂げると、バリク族はバリクパパン湾に沿って海路で移動しSepakuに移住した。

Sepakuに移り住んだバリク族は米や野菜を栽培し、川や森で狩猟をする自然と調和した生活を取り戻したが、1920年に疫病によって死者・移住者が大量に出て、その人口は大幅に減少した。残ったバリク族のコミュニティはその後オランダ人による強制労働、日本軍による占領を受けた。1958〜1963年にかけてイスラムの思想擁護を建前にバリク族を抑圧し奴隷化する武装集団が活動し、バリク族は再び様々な地域へ逃亡。武装集団鎮圧後もSepakuに戻らなかった人は多くいた。IKN当局はバリク族を保護する最善の方法をみつけるために、他の省庁・機関と継続的に議論している。