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ムニール氏毒殺事件の闇 大統領が再捜査を命じる

人権活動家ムニール氏の毒殺事件が起きたのは18年前、2004年9月7日だった。

この日修士課程留学のためオランダに向かうガルーダ航空機内で飲み物に毒を盛られ、経由地のシンガポールで体調不良を訴え、その後オランダ到着2時間前に機内で死亡した。

オランダ当局による司法解剖の結果、ムニール氏の体内から致死量のヒ素が検出され毒殺事件となり、インドネシアは大騒ぎとなった。

ガルーダ機に搭乗していた非番のパイロットら2人が逮捕、訴追、実刑判決を受けたものの黒幕とされた国家情報局(BIN)幹部らはいずれも「動機がない」「証拠不十分」として司法の網を潜り抜けた。

著名な人権活動家だったムニール氏はスハルト政権崩壊前後に起きた民主活動家や学生らの行方不明事件、武装組織による独立運動が続いていたアチェや東ティモールでの軍による人権侵害を徹底的に追及していた。

行方不明事件では23人が不明となり、1人が死亡、9人が解放されたが現在に至るまで13人の消息は不明だ。この事件で拉致・誘拐を実行したのが陸軍特殊部隊の秘密組織「薔薇チーム」12人で、裁判で全員が有罪となるも上級審で無罪となり軍に復帰している。

この時の特殊部隊司令官がプラボウォ・スビアント現国防相であり、東ティモールでの独立派殺害などが起きた際の国軍司令官はウィラント前政治法務治安調整相でともに「グリンドラ党」「ハヌラ党」党首として国政に参画している。

インドネシアのそうした過去の「黒歴史」に対して9月7日に国家人権委員会(コムナス・ハム)が再捜査を進めることとなった。これはジョコ・ウィドド大統領が8月16日の国会演説で過去の人権侵害事件の再調査を表明したことを受けての動きだ。

薔薇チーム事件に関しては2005年に当時のユドヨノ大統領の指示に基づく調査報告書が提出されたが非公開のままである。

ジョコ・ウィドド大統領が大統領職権でこの報告書を公開すれば再捜査は一気に進むと思われるが、公開されると困る関係者が多く、その無言圧力が現在もあるのだろう。

「熱しやすく冷めやすい」インドネシア人とはいえ、過去の重大な人権侵害問題も忘却の彼方に押しやり、当時の「重要関係者」を大統領候補として支持する国民が増えている。

過去の「闇」であり現代史の「黒歴史」をこのまま放置することは許されないことだ。

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。