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キリスト教会に男乱入、行事妨害 止まない宗教間に根差す非寛容

スマトラ島南部ランプン州のラジャバサ県クマダウドにあるキリスト教会に2月19日に近所の塀を乗り越えて男が乱入して、壇上に上がり行われていた教会行事を妨害した。地元メディアでもそれほど大きくは報道されなかったので事件を知らないインドネシア人、在留日本人も多いだろうが、繰り返され続けるこうした宗教問題への看過は許されない。

乱入した男がイスラム教徒であるかどうか地元報道は伝えていないが教会周辺のコミュニティーの指導者だったという。

ただ各地でこれまで発生した教会への嫌がらせや新規教会建設への反対運動はその大半がイスラム教徒によるものであることから、今回のケースも恐らく例外ではないだろう。

インドネシアでは人口の約88%と圧倒的多数を占めるイスラム教徒の主張、習慣、規範が優先され支配的雰囲気を醸成する傾向が年々強まり、ジョコ・ウィドド大統領や政府の思惑と逆方向に作用している現実がある。こうした宗教間の事案が起きるたびに大統領や政府は「1945年憲法で保障された信教の自由」や国是の「多様性の中の自由」「寛容性」を持ち出しては事態収拾を図るのが常態、恒例化となっている。

しかし「笛吹けども踊らず」ではないが、政府の建前論が見え透いているためか社会はそうした方向に実効性を伴って動く気配はほとんど感じられない。

それがイスラム教徒多数というインドネシアの現実であると言ってしまえばそれまでだが、社会の中には「それではいけない」という声も確実に存在している。バリ島に多いヒンズー教徒、北スマトラやスラウェシ島北部、カリマンタン島、パプア地方などに多いキリスト教徒、中国系インドネシア人に多い仏教徒やキリスト教徒などのイスラム教徒からみれば「異教徒」は、数では少ないが政治経済社会文化の中に占める存在感は無視できない。

少数派といえばLGBTQ問題も同じ根であり、強硬な反対派であるイスラム教徒によりLGBTQの人権は危機に直面している。

自分と異質のものへの差別感、嫌悪感、忌避感はある意味人間の「性(さが)」ともいえるだろう。しかし個の性がおもむくままでは人間の集合体である社会は成り立たない。

社会には「他者の存在を認める寛容性」が不可欠であり、それはまさに高邁で普遍的価値を訴えるインドネシアの国是そのものである。この世界に誇るべき国是の実現にインドネシアが実効的に邁進することを希求する。

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。