中央公論新書に「歴史修正主義」という書籍がある。武井彩佳というドイツ現代史を専門とする学習院大学教授の力作である。副題が「ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで」とあるように内容はドイツなど西欧社会での歴史を修正しようとする動きを取り上げたもので、日本やインドネシアのケースには直接触れていない。
日本の近代史では太平洋戦争、南京大虐殺、原爆投下など歴史の節目とされる事実への解釈、評価を巡り定説とされる事実に異を唱えて修正しようとする動きが特に近年頻発している。武井教授は「歴史修正主義をめぐる議論には歴史家よりむしろ政治家、ジャーナリスト、政治的な主張を持つ一般人などが参加し、論争の中心は専門外の人々で歴史学の外側で歴史が議論されている」という。
さてインドネシアの場合はどうだろうか。卑近な例は独立の経緯とスハルト独裁政治の歴史評価だろう。インドネシアの独立は1945年に日本の敗戦直後にスカルノ氏が独立を宣言して念願の独立を果たすのだが、「日本の貢献」とか「日本のお陰で独立」「占領が独立へ橋渡した」などとする評価がある。こうした評価は武井教授が指摘するように日本、インドネシアの場合も歴史学者からではなく自称ジャーナリストや政治家などによる解釈が中心であり、なんらかの政治的意図が背後に作用しているようにもみえる。
歴史には「事実 fact」と「真実 truth」がある。往々にしてこの事実と真実は混同されているようだが、その違いに関して武井教授は著書の中で「偽ニュースが問題となると、メディアはファクトチェックの必要性を語るが、トゥルースチェックとは言わない。なぜなら事実とは私たちの認識の基礎となり、私たちの判断の根拠となるものだが、真実のあり方は人によって異なるからだ。このため歴史家は“歴史的事実”という言い方はしても“歴史的真実”という表現は避ける」としている。先ほどの例で言えば、インドネシアがオランダ軍との戦闘で勝利して独立したことは誰もが認める事実である。インドネシア人による執念と努力の結果なのか、日本兵や日本による「お陰」なのかはよって立つ立場によってその「真実」は異なる、ということではないだろうか。言論自由が保障されている社会だが、そうした言説を果たしてインドネシア人と共有できるだろうか。歴史の事実と真実、その違いに注目しながらもインドネシアの歴史を見つめて理解を深める努力を怠ってはならないと思う。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。