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天皇皇后両陛下も訪れた 元日本兵も眠る英雄墓地

インドネシア独立戦争に参加したインドネシア人とともに、多くの残留日本兵が眠っているジャカルタのカリバタ英雄墓地。こうした日本人兵士の墓地はボゴール英雄墓地、バリのマルガ英雄墓地、中部ジャワのテビチンギ英雄墓地やチレボン英雄墓地、西ジャワ州のタシクマラヤ英雄墓地、そしてスラバヤ英雄墓地と各地にある。スマトラ島メダン郊外デリトアにも元日本兵の墓地があるという。

戦後のインドネシアには、約1000名の元日本兵が残り、独立戦争に参加した。長年インドネシア元日本兵の半生を追いかけた長洋弘氏は自著の中で、様々な理由でインドネシアに残り独立戦争を戦った元日本兵を追っている。例えば、前田博元陸軍中尉はメダンにあるインドネシア人青年で組織された独立義勇兵を直接指導していた。独立義勇兵は郷土防衛を目的として結成されたものだ。しかし、日本の敗戦が決まった1945年にメダン北部で日本軍数百人がイ独立義勇兵(リーダーは直接指導したことのある部下)に囲まれた。その理由は武器の引き渡しを求めるものだった。

前田は日本軍を襲わないように説得し、武器の受け渡しを決めた。だが、その責任を取り、前田は日本軍を離れ独立軍に入ったのだった。他の兵士たちも戦争という激動の時代に翻弄されていた。日本へ帰る船は沈没させられたなどの流言飛語を信じた者、自暴自棄になった者、義勇軍と独立の約束を守るため参加した者、独立軍に連れ去られた者、インドネシアで新しい家庭を築いた者など理由は様々だった。さらに、オランダ軍は独立戦争に参加している日本兵に懸賞金をかけたため日本兵たちは自身が日本人であることを隠し戦った。独立後もインドネシアで生きていくためイスラム教へ改宗し、名を変え、貧しい中でインドネシア人として生きた。

“生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ”「戦陣訓が忘れられない」とある元日本兵は語っている。この戦陣訓を戦後も信じてきた日本兵は多かった。そのため、日本にいる家族が非国民と呼ばれるのを避けるため、日本へは帰れないとも述べている。戦陣訓は、その後の日本人残留兵の人生にも重くのしかかった。日本に帰国しない彼らは、インドネシアと日本の架け橋になった。

現在のインドネシアには、多くの日系企業が進出しているが、元日本兵の尽力があったことも忘れてはならない。今年で78年目の独立記念日を迎える。インドネシアに眠る全ての人へ、鎮魂の祈りを捧げたい。

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。