5/14-15 チカラン・ジャカルタで交流会開催!詳細はこちら

介護の現場に立つインドネシア人 難しい日本語習得の壁乗り越えて

2022年、日本で初めて技能実習生から介護福祉士の1人となったインドネシア出身のデウィ・アングライニさん。2017年11月、技能実習制度に介護が加わり、彼女はその第1期生としてインドネシアから来日した。長野県の介護施設で働き5年で見事合格を果たした。10人兄弟の9番目のデウィさんは、日本での自身の活躍に家族みんなが喜んでくれたと話す。

来日前に10カ月日本語を勉強したが、それでも日本語のコミュニケーションは難しかったという。デウィさんのように来日当初は言葉の壁で苦労する技能実習生が多い。介護の専門用語などを含む場合はさらに困難だ。

日本での介護職の経験を生かし、地元のマナドで後輩育成に尽力している人もいる。2023年4月、スラウェシ島マナドで日本語学校が開校した。開校に尽力した村上・ジェイン・マルセラさんは就職難であるマナドの若者の力になりたいと開校を決意したという。

 マルセラさんはマナド近郊の村で生まれて、20年前の結婚を機に来日。岩手県の介護施設で10年間働いた(現在も岩手在住)。岩手の施設で日本の介護業界が直面している深刻な人手不足を実感したという。そして、マナドにいる大学卒業者でも就職難に陥っている現状を日本語学校設立で打破できるのではないかと考えた。マルセラさんはマナドにあるルマサキテリン大学を含む4つの看護大学と提携し、希望者が在学しながら日本語学校の授業を受けられるシステムを作った。
 平日9時から16時まで授業があり、生徒約50人(18〜35歳)が学んでいる。マルセラさんが授業の中で注力しているのが日本語能力試験N4レベル対策だ。(N4レベルとは、基本的な日本語を理解できるレベル)N4レベル以上のスキルを身につけ、未来を切り開いてほしいとマルセラさんは願う。岩手から日本語学校を定期的に訪れて若者のサポートをしている中で、故郷のマナドの若者に「頑張れば道は開ける」とエールを送った。
 2023年のインドネシアの国民平均年齢は29歳で日本は47歳。インドネシアにおける介護現場の需要は少ないことがわかる。インドネシア人友人に尋ねても、介護施設はほとんどないという。日本に比べ介護施設が圧倒的に少ない理由のひとつに、親と子どもが同居する割合が高いことが挙げられる。宗教や国民性も相まって、子どもの誰かが親と同居するのが一般的で、親が1人で暮らすことはほとんどないようだ。そう教えてくれた友人2人も、8人兄弟と9人兄弟だと笑っていた。

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。