インドネシアのジョグジャカルタ、通称ジョグジャは伝統芸術や古典文化の豊かさで知られるが、同時に「学生の街」としての顔も持っている。では、なぜこのように呼ばれるのだろうか。
最大の理由は、充実した教育施設の数と相対的に安い生活費である。さらに、地方政府の教育分野への手厚い支援もあり、インドネシア全土から多くの若者が学びを求めてこの街へと集まってくるのである。
この「学生の街」としてのルーツは、まだインドネシアが独立を果たしていなかった1880年代から1930年代の植民地時代にまで遡る。当時から王宮が教育の発展に大きく貢献しており、スルタン・ハメンクブウォノ7世の時代にはすでに多くの学校が設立されていた。この教育重視の姿勢は、その後のスルタン・ハメンクブウォノ9世や同10世の時代にも受け継がれていく。
また、植民地時代に最高水準の施設を誇ったコタバル地区には、教育を受けた中間層が多く居住していた。彼らと多様な住民との交流がやがて社会運動や民族運動へと発展し、ジョグジャが「学生の街」として確固たる地位を築く原動力となったのである。
もうひとネタ!
ジョグジャには「学生の街」以外にも、実は13個もの様々な異名が存在している。 知れば知るほど多様な顔を持つ奥深さこそが、現在も多くの人を惹きつける理由かもしれない。


















