リッポーグループ(1950年創立)
傘下法人・出資先 |
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銀行家一家、通貨危機を機に転身
中国福建省甫田市に祖を持つ1929年東ジャワのマラン生まれのモフタル・リアディ(Mochtar Riady)がリッポーバンクを1948年に設立したのが起源とされる。モフタルはその後、ブアナバンク、パニンバンクを次々と創業。銀行家として名を馳せる。1975年にスドノ・サリムの声かけでBCAの共同経営者に。その後1990年に引退するまで頭取を務め、BCAをインドネシア最大の民間銀行に育て上げた。
ただ、リッポーバンクは1997年に始まったアジア通貨危機で大量の不良債権を抱え、政府支援を受けることになる。一時はスイスアジアグローバルという投資会社に過半数株を押さえられるが、その後、マレーシア政府傘下の投資会社にそれが売却される。このような経緯もあって、2008年にマレーシア最大のCIMBニアガ銀行に吸収され、同行のインドネシア法人という形で運営されている。
リッポーグループは現在、不動産デベロッパーとしての色が濃い。息子のステファン率いるリッポー・リミテッド(香港上場)をはじめ、ジャカルタ東郊外の新市街開発を行うリッポー・チカランなどの法人を擁する。
次男のジェームス・リアディはリッポーグループの副会長として、メディア、通信、小売リテール、医療、教育など多くの事業を手掛ける。リテールビジネスではマルチポーラーという法人を筆頭に、インドネシアの老舗デパートとして知られるマタハリに出資するほか、ハイパーマート運営のマタハリ・プトラ・プリマを保有している。