ジョコ・ウィドド大統領が4月7日に開催した宗教関係者との会議の席上で「自らの組織や団体以外の人々、異なる組織の人々、特に異なる宗教の人々に対する寛容の精神を促進して、非寛容につながるようなあらゆることを排除するように謙虚に虚心坦懐に努めてほしい」と述べたことが明らかになった。
その上で「排他性、閉鎖性そして無知は非寛容拡大への引き金となる。非寛容に基づく身体的、精神的暴力はインドネシアから根絶されなければならない。なぜなら非寛容は国の基本に関わる問題であるからであり、非寛容に対して政府は断固とした対応策を講じる」とまで明確に示し、寛容の精神の大切さを改めて訴えた。
これはインドネシアが「多様性の中の統一」と同時に「寛容性」を国是として掲げ、多民族、多言語、多文化、多宗教の国民を統一国家としてまとめることに歴代の大統領、政府が苦心してきた経緯と歴史が背景としてあることと無関係ではない。
なぜまたこれまで何度も言及してきた「寛容性」を改めてこの時期にわざわざ触れなければならなかったのか、むしろそちらの方に興味が沸く。
まず4月7日はイスラム教徒の重要な宗教的行事である「断食月」の開始直前であること。さらには最近インドネシアで続いた数々の事案が関係あるのは間違いない。
南スラウェシ州マカッサルのキリスト教会を狙った自爆テロ、ジャカルタ市内の国家警察本部での銃撃テロと相次いだ中東のイスラム教テロ組織「イスラム国(IS)」との関係が疑われたテロ事件の発生。そして公立学校での女子生徒のジルバブ(ヒジャブ)強制着用問題、さらにはコロナワクチン接種の可否と断食期間中のコロナ検査受診に関する可否を問う「ハラル問題」などである。
ここで気が付くのは全ての事案はイスラム教に深く関係するということである。この国の圧倒的多数をイスラム教徒が占めるという現実を直視するなら、こうした問題への言及こそが国民の融和と統一、バラエティーに富んだ価値観の維持に必要不可欠であるということなのだろう。
同じことであってもそれを何度も繰り返して強調し、訴えることが国家の指導者として求められているのだろう。「排他性、閉鎖性、無知が非寛容を招く」。断食月の今改めて他を認め、違いを認める心を持ちたいものである。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。ジャカルタ在住。