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【熱狂諸島】松田由美氏|ガルーダインドネシア航空CAからレストランオーナーへ

(写真)昨年、故郷の石川県金沢駅の前で撮った三姉妹の娘たちとのショット。インドネシアで出産した娘たちは、エミレーツ航空のCA、日本の広告クリエイティブ会社、日本の芸術大生(現在フランス留学中)とそれぞれがグローバルに活躍している。

1986年に来イされ、現在は日本食レストラン『美卯ブロックM(以下同)』と『美卯石鍋スミットマス』を経営されている松田由美さん。いつも明るくポジティブ、面倒見がいい姉御肌。ジャカルタ在住日本人女性が少なかった頃からこの町で社会人として暮らし、まさにインドネシアで働く女子の先駆け的な存在です。そんな由美さんにジャカルタ生活を始めた頃の素敵な出来事や苦労話などをお伺いました。

プロフィール
松田由美(Yumiati)さん
石川県金沢市出身
アメリカの短大を卒業後、『パキスタン航空』に日本人客室乗務員として勤務。その後『ガルーダ・インドネシア航空』に移籍した後、1986年からジャカルタに移り住み、ハイアットホテルのマーケティングとして勤務。現在、日本食レストラン『美卯』のオーナーとして活躍中。
スミットマスの『miu ishinabe』。多くの日本人が日本人客でにぎわう。
ライフネシア編集部
今回、ライフネシア300号記念にちなんだジャカルタ在住歴30年以上の方にインタビューさせていただいておりまして、その一人として松田さんにお願いした次第です。
由美さん
確かに30年以上住んでいますが、私なんかよりずっと破天荒で面白いジャカルタ暮らしをされている在住歴30年以上の方なんていっぱいいますよ(笑)
ライフネシア編集部
松田さんも稀有な経験をされていらっしゃるのではないかと……(笑)早速ですが、インドネシアに来られた経緯からお聞かせ下さい。
由美さん
かつてガルーダインドネシア航空の客室乗務員として働いていました。その関係でジャカルタに来ることが多く、やがてガルーダ航空を辞めた後にジャカルタで仕事をすることに決めました。
ライフネシア編集部
新卒でガルーダインドネシア航空で就職したのですか?
由美さん
いいえ、最初は20歳でアメリカの短大を卒業した後にパキスタン航空で働き始めました。そして、23歳でガルーダインドネシア航空に転職して約2年間働きました。
20歳で初入社したパキスタン航空で客室乗務員として勤務。当時、客室乗務員は人気職種で1,000名の応募に対して合格者はたったの4名だったそう。仕事では非常ドアを開けての緊急着陸の経験もあり。
ライフネシア編集部
カルーダインドネシア航空勤務時代にジャカルタが気に入って、ここに住もうと決心したのですね?
由美さん
そうですね。友だちもジャカルタに住んでいたし、当時からこの先、発展しそうな国だと感じていましたからね。
ライフネシア編集部
カルーダインドネシア航空を辞めた後は、何のお仕事をされていたのですか?
ガルーダインドネシア航空時代の同僚とのツーショット。当時は23歳。このガルーダインドネシア航空での勤務がなければ、今頃ジャカルタに住むこともなかった!?
由美さん
ハイアットホテルのマーケティングとして勤務しました。日本人宿泊者の獲得が私の任務で、スディルマンやタムリンにある日系企業へ、毎日飛び込みで1日20件くらい営業をしていました。営業といっても日本人の駐在員とお茶飲みながらお話しするだけでしたが……。

当時、若くて独身の日本人女性はジャカルタにほとんどいなかったので、自分で言うのもなんですが、モテました(笑)つき合ってもいないのにいきなり婚約指輪を渡されてプロポーズされたり……(笑)

ライフネシア編集部
プロポーズ!? すごい。モテモテですね。
由美さん
1度や2度ではありません。10人くらいから指輪を渡されましたね。もっともすべて丁寧にお断りしました(笑)
ライフネシア編集部
そうなんですね。タイプの男性がいなかったんですか?
由美さん
そんなことはないです。当時の駐在員は優秀で紳士的、素敵な方がたくさんいらっしゃいました。ただ、私自身まだ25歳で、結婚には興味がありませんでした。仕事好きだったんですよ。
ライフネシア編集部
ご自身のキャリアを優先されたのですね。当時のお給料は高かったんですか?
由美さん
初任給40万ルピアでした。当時のレートで5万5,000円くらいかな。
ライフネシア編集部
月収40万ルピアがいかほどか想像がつかないのですが……。当時としては厚遇だったのでしょうか?
由美さん
当時の(1986年)日本人の大卒の初任給が15万円くらいでした。ですので日本人平均の1/3くらいの給与ですね。もちろん金額は満足できるものではありません。そんなある日、当時のGMから顧客ターゲットを渡され、それをクリアしたら2000ドルに給料をあげると言われたので頑張りました。
ライフネシア編集部
40万ルピアから2,000ドルって結構なアップですよね。
由美さん
当時は1ドル170円ほどだったから、2000ドルは34万円。大卒初任給の約2倍ですね。
ライフネシア編集部
それで目標は達成できたのですか?
由美さん
3ヶ月で達成しました。あの頃はモテモテだったので余裕です。某大手日系企業を囲い込みました(笑)
ライフネシア編集部
囲い込むってすごい! 具体的にどうされたのですか?
由美さん
某大手企業に営業に行った際に支社長とお話ししました。「僕は長期滞在者だから、快適に過ごしたい。要望通りの部屋に改装してくれたら、今後うちの全社員を君のホテルに宿泊させるよ」と言われました。

そこでGMに掛け合って、すべて個人の要望を実現したお部屋に仕上げました。その後、約束通りその某大手企業の社員さんがウチのホテルに宿泊することになり、見事、囲い込みに成功したんです。

当初、うちのホテルには日本人宿泊者は全体の2%でしたが、私の営業で最終的に25%までアップしました。もっとも当時は日系企業のパーティーが盛んに行われていた時代なので、パーティーの獲得も多かったです。日系企業が想像がつかないほど、とても元気だった時代だったことも。

当時は24歳、ジャカルタでホテル勤務を始めた頃。とにかく仕事に夢中で毎日営業まわりの多忙な日々を送っていた。
ライフネシア編集部
驚愕の伸び率。優秀な女性営業マンですね。
由美さん
その噂を聞いてのことだと思いますが、日航ホテルやマンダリンホテルなどの大手ホテルからも、いい条件のスカウトを受けました。でもすべてお断りしました。
ライフネシア編集部
なぜ、断ったのですか?
由美さん
実は◯◯グループ(インドネシアの大手老舗ホテル)のホテルのオーナーの息子と結婚を前提にお付き合いしてたんです。
ライフネシア編集部
え、◯◯グループのオーナーの息子さんって御曹司じゃないですか(笑)
由美さん
結婚の予定でしたが、それには以下の5つの条件がありました。
①日本の両親から了承を得る
②国籍をインドネシアに変更する
③インドネシア語を習得する
④結婚後も仕事を続ける
⑤イスラム教に改宗する
そしてこれらの条件をすべてクリアして彼と結婚し『◯◯グループ』の一員になりました。
ライフネシア編集部
そこでもホテルのマーケティングをされたのですか?
由美さん
いいえ。その当時は旅行代理業も運営していたので、そこに配属しました。そこが現在弟が経営しているJTSの前身です。ただ、結婚したはいいけれど、いいことばかりではありません。外国人だからと言って、そこのスタッフからはやっかみを受けて嫌がらせをされたりしました。
ライフネシア編集部
そうですか。辛いこともいっぱいあったのですね。でも、御曹司の旦那さんと結婚されたので、生活面は豪華な暮らしをされていたんじゃないですか?
由美さん
それが、そうでもなかったです(笑)お義父さんとお義母さんからは金銭的な支援は全くなかったです。さらに夫はチャレンジャーでいろんな事業に手を出しては失敗して……。夫が失敗したビジネスで負債が膨れ上がり、最終的には借金が日本円で約2億まで膨れ上がりました。
ライフネシア編集部
借金2億円!? それは返済できたんですか?
由美さん
はい、完済しました。ちょうどその時期、双子の娘が生まれたばかりだったので必死でした。当時日本で『仮面ライダーブラック』が流行っていて、東映とコラボしてジャカルタとスラバヤで仮面ライダーショーの運営を行いました。それが面白いように大ヒットしたんです。8,000人しか入らない会場に1万人以上入りましたね。
ライフネシア編集部
そのイベントで2億円の借金を完済したのですか?
由美さん
まだまだ足りません。その後◯◯グループでやっていた旅行会社で日本へのチケット発券業務で得た利益でコツコツ返済していきました。
ライフネシア編集部
それは当時から日本へ行くインドネシア人が多かったってことですよね?
由美さん
はい、ちょうどその頃から、日本へ技能実習生として働くインドネシア人が増えたんです。そこで日本の技能実習生受け入れ企業へ営業に行って、チケット発券業務を優先的に受託できるようにお願いしました。
ライフネシア編集部
そこでも由美さんの営業力が発揮されたんですね。
由美さん
最初は門前払いばかりでした。日本の国内営業なのでインドネシアのように一筋縄ではいきませんでした。ただ、やっぱりあきらめずに地道に営業続けることが大事です。最終的には某大手企業から仕事を受注することができて、6,000人以上の技能実習生のチケット発券をしました。それでなんとか借金を完済できました。

その後、その旅行会社からは手を引き、レストラン業に専念することにしました。子どもたちの面倒を見てもらうために日本から母と弟たちを呼び、一家でジャカルタに住みはじめました。

現在ジャカルタで一緒に暮らすご両親。由美さんと同様にパワフルなお母さんは、地元金沢での飲食店経営の経験があり、現在『美卯』の料理のプロデュースも担当している。
ライフネシア編集部
そのレストランが今の『美卯』なんですか?
由美さん
最初は『バリカフェ』というインドネシアシーフード料理屋を始めました。クーラーもなくて、蚊がいっぱいいるお店でしたが、インドネシア料理を食べながらバリ舞踊を観るコンセプトが日本人に大ヒットし、お店は瞬く間に繁盛しました。

母も日本で飲食店を経営していたので手伝ってもらい、『バリカフェ』は日本人の中で「インドネシアに出張に行った際は必ず行きたい店」の定番となりました。昔はお店の選択肢も少なかったですからね。

スミットマス店は平日24時まで営業。夜のバルメニューはワインに合うつまみメニューが豊富。ワインは1本25万ルピアから提供している。

ライフネシア編集部
起業された飲食業でも成功されたのですが、その後、カフェの支店展開はされたんですか?
由美さん
お陰様で移転後も多くの日本人の方に使って頂き、お店は繁盛しました。その後、日本食レストランもいくつか開きましたが、管理が大変だったこともあり、最終的にはインドネシア料理と日本食料理を融合させたコンセプトのレストランをブロックMで開きました、それが今の『美卯』です。
ライフネシア編集部
その当時からブロックMにはたくさん日本食レストランがあったのですか?
由美さん
いっぱいありました。すでに日本人街として機能していて、当時は活気があってお客さんもたくさんいました。MRTが通って、前のような活気を取り戻せたらいいですね。
スミットマス店では、ランチはもちろん夜も定食メニューあり。

ライフネシア編集部
そうですね。MRTが開通すれば、日本人はもちろんですが、今まで以上にブロックMにくるインドネシア人が増えるんじゃないですか?
由美さん
そうですね。それによっては私のお店もそうですし、ブロックMも時代に合わせた形で変わっていく必要があると思います。
ライフネシア編集部
今後、日本に帰るご予定はあるんですか?
由美さん
娘たち次第かな。私は独りでは生きていけないので、娘たちを頼ります。できればインドネシアと日本両方に家があった方がいい。どこに住むよりも、誰と一緒に居るかが大事だと思っています。人生楽しく生きたいですしね。
ライフネシア編集部
まだまだお話を聞けば聞くほど面白い話が出てきそう(笑)
由美さん
もうこのへんで十分でしょう。お店にまた遊びに来てくれたら裏ネタを話すから。実は明日から三女に会いにフランスに行くから、帰ってから荷造りしないといけないの。
ライフネシア編集部
えっ、明日からフランスですか!? 本当にパワフルに人生を楽しんでますね!

由美さん、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました!

miu Ishinabe


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