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東ティモール ASEAN加盟 長年の悲願 11カ国体制に

東ティモールが東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟することが決まった。11月11日にカンボジアで開催されていたASEAN首脳会議において全会一致(ミャンマー軍政代表は欠席)で決まったもので、当面はオブザーバーとして各種ASEAN会議に出席し、2023年にも正式な加盟国となる。これでASEANは11カ国体制となる。

東ティモールは長らくポルトガル植民地だったが1975年に独立を宣言したがインドネシア軍が軍事侵攻し、1976年にインドネシア領として併合。以後独立を求める武装闘争が続き、アチェ、パプアと同じく「軍事作戦地域(DOM)」に指定、人権侵害が頻発。

1991年には州都ディリでの平和的デモにインドネシア軍兵士が発砲して約400人が殺害される「サンタクルス事件」が発生し、それまでの「忘れられた独立運動」が国際社会の注目を浴びる事態になった。

スハルト体制が崩壊し後継のハビビ大統領がインドネシア併合か独立かを問う住民投票を実施し、78,5%が併合を拒否し、以後国連の主導で独立への道が進む。

アチェやパプアほど天然資源が豊富でないことや政治団体「フレテリン」とその武装部門である「ファリンテル」との紛争が激しさを増したことなども住民投票実施をハビビ大統領が決断した理由とされるが、長年のインドネシアによるインフラ整備や投資などから「併合派が多数を占める」とハビビ大統領は踏んでいたといわれている。

東ティモール人にとっては念願の独立に向けて国連の支援で動き出すが、併合を維持したいとする一部が民兵化して騒乱を引き起こした。この民兵組織を支援したのがウィラント国軍司令官率いるインドネシア軍だった。

軍は「領土が損なわれる」として最後まで併合維持に拘ったのだった。当時独立派民兵の多くは血走った目で口角泡を飛ばして独立派住民を襲撃。インドネシア軍から麻薬を渡され狂気を繰り返していると密かにいわれた。

そうした経緯を知るだけに2022年5月20日のコフィ・アナン国連事務総長らを迎えて挙行された独立記念式典を取材した時は滂沱の涙だった。

天然資源に乏しく経済的にも困難に直面し高失業率と独立後も苦難が続いたが旧知の東ティモール人は「インドネシア軍兵士に急襲や銃撃されることなく夜家族と安心して眠れるだけでも独立は嬉しい」と漏らした。ASEAN加盟は本当に喜ばしいことである。

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。