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老舗日本料理店 菊川にまつわる話し 先代親父はスカルノ、デヴィ夫人と交流

ジャカルタの老舗日本料理店「菊川」がかつてのチキニ通りⅣから移転して営業を再開したとのニュースに接した。菊川は現在の経営者トミー(菊池武秀)さんの父菊池輝武さんが1969年に創業した店で、筆者が赴任した1990年代には「菊川」と「よしこ」が日本人駐在員、各社記者のたまり場だった。

特に菊川は親父さん輝武氏がスカルノ大統領と懇意でいろいろな相談に乗ったり、デヴィ夫人とも仲良く菊川で日本人駐在員と雀卓を囲んでいた、などという興味深い話しを聞くために通い詰めた。先輩記者は急な出張で現金不足から菊川に駆け込み親父さんから借金したこともあるなど、各社記者、大使館員にとっては「アットホーム」な店だった。

スカルノ大統領、デヴィ夫人と懇意であることからスカルノ大統領の長女であるメガワティ・スカルノプトリさんとも親しく、大統領就任前はよく菊川で食事をしては父スカルノの思い出話しを聞いていた。警察官出身の鎌田さんと「カトちゃん」の愛称で親しまれたインドネシア人ウェイトレスがいつも笑顔で迎えてくた。佐賀県出身の菊池さんの好物は地元の名産品「松浦漬け」で、緑茶や羊羹などの和菓子と一緒にお土産に持参した時は相好を崩して喜んでくれた。

じゃかるた新聞初代編集長の草野靖夫氏も毎日新聞記者時代から菊池さんにはお世話になり、草野さんが参加する送別会や懇親会はほぼ菊川だった。

時代は流れ多くの日本料理店がジャカルタにできると高級食材を用いた本格的な日本料理が結構な値段だが楽しめる場が増え、菊川はインドネシア人に主な客層が移った。

これは菊池さんが日本人だけでなく「インドネシア人にも日本料理を味わって日本を身近に知ってほしい」との思いを反映したもので、安くて美味しい典型的日本料理の提供を貫いた。天ぷら、刺身、すき焼き、焼き鳥、みそ汁など典型的日本料理が小鉢に盛られた「菊定食」はインドネシア人に大人気だった。

筆者はビーフカレーとざる蕎麦が好物だった。「父がお世話になりました」とかつての商社駐在員の子供などが菊川を再訪してくれるのを楽しみにしていた菊池さんは2011年に鬼籍に入った。移転して新装開店した菊川には日イの歴史が詰まっている。(写真は左から菊池輝武さん、メガワティさん、菊池夫人のアメリアさん)

執筆:大塚 智彦
1957年生、毎日新聞ジャカルタ支局長、産経新聞シンガポール支局長などを経て2016年からフリーに。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。
※本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、PT KiuPlat Media社の公式見解を反映しているものではありません。