インドネシア各地には、戦争中に亡くなった日本人兵士を祭る慰霊碑がいくつもある。有名な慰霊碑には現在も多くの人が礼拝に訪れているが、西ティモール東ヌサトゥンガラ州クパン市マウラファ地区にある日本人兵士の慰霊碑を訪れる人はあまり多くない。
この場所は戦争中に亡くなった日本人兵士の遺体の火葬場として使用されていた場所で、同慰霊碑は1943年に建立された。元インドネシア国軍(TNI)の軍曹・故フィリパス・マビカフォラさんは、慰霊碑建立当時の様子を知る数少ない証人の一人であった。息子のアンセルムスさん(66歳)は、父から聞いた話をもとに慰霊碑について次のように語る。「この慰霊碑は日本がインドネシアに侵攻してから1年後に、日本軍による厳しい監督のもと、現地の住民によって建てられました。亡くなった父は戦時中インドネシア空軍総合技術局で働いていて、戦後は記念碑の警備と管理を任されていました。以前は兵士の名前が書かれた大理石がありましたが、残念なことに大理石は盗まれてしまいました。」
17 段の階段の先にある長方形の慰霊碑には、この場所で火葬された日本人兵士の名前が刻まれている。1983年に日本の退役軍人の団体が礼拝に訪れ、慰霊碑は現在、バリ州文化遺産保護センターによって文化遺産に登録されている。