インドネシア国民が尊敬する英雄の一人ラデン・アジェン・カルティニは、インドネシアの民族主義運動・女性解放運動の先駆者。4月21日は、女性の権利のために闘ったカルティニの揺るがぬ闘志と偉大な功績を、国民全員が思い出す日である。
1879年4月21日、カルティニは中部ジャワ州ジェパラの県知事の家に生まれた。ヨーロッパ人小学校(ELS)を卒業し、12歳になると当時のジャワ貴族階級の娘の慣習であったピンギタン(婚前閉居)を強いられ、父親から教育を受けることを禁じられたが独学で勉強を続けた。レンバン県の知事ジョヨアディニングラットと結婚後はレンバンに女学校を開き、同地の官吏の娘たちに教育の機会を与えた。女性が教育を受けられる社会にするために生涯を捧げたカルティニは1904年わずか25歳で死去した。
1964年にインドネシア共和国大統領令第108号により、彼女の誕生日である4月21日が「カルティニの日」に制定された。1964年にはスカルノ前大統領がカルティニを国家独立英雄に選出する式典を開催した。カルティニの日には旗揚げ式、伝統衣装コンテスト、絵画コンテスト、詩の朗読会、女性作家の作品展示会など、さまざまな行事が開催される。母親や姉妹、友人など、周囲の女性に感謝の気持ちを伝える機会でもある。