大統領の車列は先導の白バイ、パトカーに続いて国旗をつけた「1」のベンツやボルボで大統領が続く。装甲車並みの防弾ガラスを誇る車内、助手席は警護隊長、その後ろに大統領が座る。後にスナイパーの車、最後に侍医団の車が続くのは今も昔(スハルト大統領時代)も同じだ。スハルト大統領はメンテンのチュンダナ通り8番で、当時の毎日新聞社ジャカルタ支局兼支局長住宅33番の前を通勤時に通過するので手を振りながら観察できた。スハルト大統領はいつも笑顔で応えてくれたものだった。
懇意にさせてもらったメガワティさんとは時に先導のパトカーや侍医車、警護隊車に同乗して車列に加わった。警備隊は同行VIP車を「符丁」で呼んで交信していた。メガワティさんの夫トフィック・キマス国会議長車はその出身地から「パレンバン」だった。規制された高速道路などでは車列は前後そして左右に開いて走行、前方の視界を広くするためでかなりの高速走行が可能となる。
運転手は警護隊の警察官が交代で乗車し、隊長が助手席に敬礼して乗り込み、副隊長が後続車で車列の指揮を執るスタイルだ。
中央ジャカルタ・トゥンクウマル通りにあるメガワティさんの私邸には、ベージュ色のフォルクスワーゲン・カルマンギアが入り口付近に「鎮座」している。大統領警護隊員の警察官が磨き上げた車体を、月に何日か周辺を走らせ車体管理維持に努めているが、この名車こそがメガワティさんの愛車である。たまに窮屈そうに運転席に座り込んでハンドルを握ってメンテン地区を流しているという。助手席には警護隊長が同乗。その姿をまだ目撃したことはないが「イブ、免許証は持っているのですか」と聞いてみたところ「私は元大統領よ」とぎょろりとにらまれた。多分「堂々の無免許運転だろう」とみている。
まだ大統領就任前のころ、ホテルでの会合後に混雑で運転手がなかなかエントランスに来ないのでと、筆者運転の車後席に秘書と乗り込んできたことも何回かある。流石にその時は手に汗をかいた。車内で流れていた音楽が気に入ったとかで、後日CDを贈った。中島みゆきの「時代」だった。お気に入りの音楽はイタリアの盲目テノール歌手アンドレア・ボチェッリで、彼の歌が車内で流れ始めるとほどなく爆睡タイムとなるのが常だった。
大統領を辞してからの日本訪問では公式行事などには大使車のベンツを利用し、運転手の後ろに大使、並んでメガワティさん、助手席は「警護隊長兼連絡役」の筆者が乗る。
月刊誌やネット版ニューズウィーク、JBPress、現代ビジネス、東洋経済オンライン、Japan in depth などにインドネシアや東南アジア情勢を執筆。