インドネシアで最も有名なアヤムゴレンの店のひとつに「アヤムゴレン・スハルティ」がある。ジョグジャカルタ発祥のこの店は、現在ではインドネシア国内の複数都市に多数の店舗を展開している。
店の看板にもなっているスハルティ夫人は「アヤムゴレン・ムボク・ベレク」の創始者ムボク・ベレク夫人の孫娘にあたる。祖母の店で特製アヤムゴレンの作り方をしばらく学んだ後、26歳の時に父親の助けを借りて独立し、アヤムゴレンの販売を開始。商品を詰めた大きなバスケットを古い自転車に載せ、ジョグジャカルタからスラカルタまで移動しながら販売していた。6年後の1961年にバンバン・サクラン・プラトハルジョ氏と結婚。結婚後は夫のバイクを使ってアヤムゴレンの移動販売を続け、順調に成長。やがて市場での販売も開始した。1968年にコツコツと貯めた資金で土地を購入し、誰もが知っている祖母の名前を利用することなく自身の名前で店を構えた。
商売は繁盛、7人の子どもにも恵まれたスハルティ夫人だが、やがて夫と別居、離婚。1992年に店舗名の商標登録を取得し、2人の離婚後にはスハルティ夫人が経営する「アヤムゴレン・スハルティ」と、元夫のバンバン氏が経営する「NY.アヤムゴレン・スハルティ」という 2 つの類似したブランドが存在してきた。